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あった(SOU 1982:36)。病気の子どもの介護に対して支払われた傷病休業手当金は、1977年(両)親保険に統合され、児童介護一時休暇手当金と名付けられた。1980年、この手当金の給付条件は一人の子どもにつき年間60日間と大幅に拡張されることになった。
(両)親保険に関連して、1977年(両)親休暇法が制定された。この法は1979年改正され、(両)親保険とは無関係に、子どもが1歳半に達するまでの休暇が権利として保障されることになった。また、子どもが8歳に達するまでの短縮労働(通常労働時間の4分の3)も権利として保障されることになった(SOU 1982:36)。
1978年、有給(両)親(育児)休暇は6か月から9か月に延長され、その内3か月間は特別(両)親休暇手当金と呼ばれ、子どもが8歳に達するまで利用できる内容に拡張された。意図するところは、制度に弾力性をもたせることによって、休暇とひきかえに保育所滞在時間を短くするなど親子がともに過ごせる時間をさらに保障することであった。また、養育に関する親と公共保育との関係をバランスのとれた良好なものにすることもねらいのひとつであったといえよう。
1980年の(両)親保険の新たな拡張は、一連の新しい取り決めをともなうものであった。子どもの誕生あるいは養子を迎えるにあたって父親に対して給付される最高10日間の一時休暇手当金がそのひとつであった。もうひとつは、両親教育への参加や保育所ならびに学校の参観などを対象として、4−12歳の子どもをもつ両親に対して、1人の子どもにつき年間2日間(連絡日と呼ばれる)支払われる特別(両)親休暇手当金であった。同時に、妊娠末期に就業内容や形態が適切でないため就業が継続できず、また配置転換も困難な場合に対して支払われる妊娠手当金が導入された。また、二子の出産間隔が24か月以内であれば、最初の子どものときと同じ給付額が引き続き適用される「ボーナスシステム」が取り入れられた。1986年に、出産間隔期間はさらに30か月に延長された。
1980年初めに、(両)親保険委員会が設置され、複雑化した保険システムの検討が行なわれた。その結果、1983年子どもの誕生に直結する(両)親(育児)休暇手当金と特別(両)親休暇手当金が統合され、(両)親休暇手当金の名称のもとに統一されることになった。1989年、(両)親休暇は15か月に延長され、うち12か月が90%の所得比例給付をとり、残りの3か月はギャランティ・デイズ(保証水準額給付期間)と呼ばれ、一日60クローネの一律額給付が行なわれることになった。
1980年代末から今日にいたるまで(両)親保険の内容はほとんど変わらず、(両)新手当金、特別(両)新手当金、妊娠手当金の構成をとるものである。1980年末、休暇期間を18か月に延長する予定であったが、国の財政難のために延期されたまま現在にいたるものである。また、連絡日と称される2日間の手当金も国の赤字財政による縮小のひとつとして、1995年7月1日より廃止された(Regeringens skrivelse,1996/97:41)。反面、1995年1月1日より男女平等促進の対策のひとつとして、父親の育児休暇を義務付ける1か月の「父親月」が導入された。母親月ならびに父親月の2か月に対する90%給付(一人親の場合も2か月90%)を除いて、1995年より

 

 

 

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